Phil Hardison

Phie Hardison

「生粋のクズがブログを書くとこうなる」というのがよく分かるブログを目指しています!

だから私は親になんてならない

この記事でもウルトラ持論展開です。

お子さんがいる方は必ず気分を害しますので今すぐこの窓を閉じてください。

あなたはあなた、私は私。金子みすゞさんマジ金子みすゞさん。さて、いきましょう。

 

 

  • 子どもを生むとかいう罪

私にとって、子どもを生むということは人を殺すのと同義なほど罪深い行為です。もうこの一行を読んで「こいつは何タイプのサイコパスだ?」と思っている方も多いことでしょう。罪だと言うから大げさなのかもしれません。「エゴ」と言えばどうでしょう

あなたは親に生んでくれと頼みましたか?私は頼んでいませんし、頼まれていません。私は「生まれさせられた」と言うのが一番しっくりくる表現だと思っています。

私は世の偽善者たちにうんざりしています。親を大切にしろだとか、親孝行しろだとか、ここまでおまえを育ててくれた親にその言い方はなんだとか。私は恐怖すら覚えています。こんな恐ろしいほど極度のエゴ行為が私の周囲でここまで正当化されているなんて、ぞっとする他ありません。

責任を取らなければならないのは親の方です。「生まなければよかった」というのは的を射ている後悔の句であり、これを必死に拒絶する人は親という肩書きを免罪符か何かと勘違いしているのではないでしょうか。

 

  • どうして私は子どもを生まないのか

私には子どもはいません。でも、私は子どもを愛しています。だから私は子どもを生みたくないのです。愛する子どもが「普通と違う」というだけで苦しむかもしれない、将来いじめられて苦しむかもしれない、交通事故で死ぬかもしれない、レイプされるかもしれない、殺されるかもしれない、泣きながら絶望の中自ら命を絶つかもしれない、私の夫が不倫して女と逃げて心に傷を負ってしまうかもしれない、行き詰った私に心中させられるかもしれない、経済的にも教育的にも底辺の生活しか送らせてあげられないかもしれない。そんなリスクのある中、私は子どもを生もうだなんて思いません。それは私が、まだ見ぬ子どもを愛しているからです。私が負ってきた傷や重荷は、絶対に子どもには経験させたくないし、それ以上の苦しみが可能性としてあるなら、子どもを生むなんて私にとっては論外です。

 

  • なぜ子どもを生むことが普通なのか

「子どもを生んで幸せな家庭を築きたい」という言葉をよく聞きます。私はこれを幼稚という言葉で済ませるには甚だ利己的すぎる文句だと思います。

子どもを生みたければ生めばいい。私には人の決断にどうこう言う筋合いなんてないし、生まれてくる子どもに責任なんてない。むしろ生まれてくる子どもに対して可哀想だという慈愛があるほどです。

「絶対に子ども欲しくなるって」「え?子ども要らないの?変だね」そう言ってきた人たちは少なくありません。私がこの記事を書いているのは、そんな考えることを放棄し、他者を拒絶することでしか自尊できない人々の脳を文章でぶん殴るためです。

「普通である」ということほど注意せねばならないことはありません。「普通の世界」というものは、私たちが考えることを放棄した世界です。

子どもって、そんな、なんとなく、当たり前に生活の中に組み込まれていて、生むのが普通だから生む・・・、そんな簡単であって善いものなのでしょうか。

「人間だって動物なんだから当然でしょ」という意見を聞きます。個人の意見ですのでそう思うのならそれでよいと思います。ただ、私は動物ではありません。私は殺された動物を食べ、服を着て、文字を読み、書き、働き、理性をもって考える人間です。時には人間らしく愚かなこともする。けれど、子どもを生むということは、そんな生半可な「やっちゃった」レベルのことで済ませていいのか、疑問です。

 

 

  • 「親」という肩書きは免罪符ではない

むしろ、罪の証です。

あなたは「親」であるという罪を一生、文字通り死ぬまで背負っていかなければならない。あなたの子が猟奇殺人鬼になるなんて、生まれたころには気付かない訳です。どの子育て本にも「猟奇殺人鬼を育てない方法」なんて書いてない訳です。他の親と同じように育てても、あなたの子は人を殺すかもしれない、重い罪を犯すかもしれない。

けれど、それが起きるのはあなたがその子を生んだからです。それを忘れてはなりません。そのリスクから逃げようだなんて思ってはなりません。

「親」という罪はあなたが思う以上に重いのです。

 

  • 親になってはならない人

経済的な余裕もないのに子どもを生む人は、子どもに不自由をさせると分かっていて、それでもエゴが勝って子どもを生むでしょうか。それとも頭が悪くて避妊の仕方も知らないのでしょうか。

健康な生活を送らせてあげられない、満足な教育を受けさせることができない、充実した私生活を送らせてあげられないのなら、親になってはならないと思います。あなたは、子どもを苦しめます。「私は健康じゃなかったし、学校も言ってないけど、私生活は充実していた」そうおっしゃる方がいるでしょうか。

本当にあなたの人生は充実していますか。自分にそう言い聞かせているだけではありませんか。そしてこんな記事を読んではコメント欄に反論を書き込んで「私は大丈夫で、私は正常だ」と言い聞かせているのではありませんか。

こんな記事を「ひとつの見解」として受け入れられず、感情的になって液晶を殴りたい衝動にかられているようであれば、あなたは親にならない方がよいです。少なくとも私はそう思います。

 

  • 教育とは

文字は消しゴムで消せます。こういった電子上の文章なんてデリートボタンで一撃です。

子どもを生み教育する過程はまるで、真っ白な紙をわざわざ一から作り、墨で塗り潰していくような行為です。一滴墨を落としてしまったら、それはそこに残り続けます。もしあなたが幼少期にトラウマを持っていれば、簡単に理解することができるでしょう。

私は間違えてしまうと確信しています。私はその紙に、一度で美しい絵や文字を描き書く自信は全くありません。

「間違うから味が出る」

「親として子どもを教育することに正解なんてない」

「間違わない訳がないし、それが親としての教育だ」

さようですか。いいんじゃないでしょうか。私が言いたいのは、私がそこまで楽観的ではないということなので。

 

  • おわりに

親というのは手本であらなければならないのではないでしょうか。「反面教師」なんて言葉もありますが、そんな自分の低い能力をさらけ出すだけの言い訳はやめませんか。

これはあくまで私見です。あなたに子どもがいようと、あなたが親という肩書きを免罪符にしていようと、知ったこっちゃありません。

ただ、こんな見解があるのだということを面白がってくれる人のためだけにこの記事を残します。

 

「子どもがいないあんたに何が分かんのよ」と思った方、いらっしゃるのではないでしょうか。

そういうとこや。

 

 

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