Phil Hardison

Phie Hardison

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有名人の過去の失言に我々はどう反応すべきか

最近アメリカでは自身の過去の失言に今になって足元をすくわれるセレブリティー(有名人)が後を絶ちません。その様子を見ていて思うことがあったので書きとどめておこうと思います。

 

 

▼自身の失言でキャリアに傷がついたセレブリティー

最近で言えばコメディアンのKevin Hartが10年近く前の発言をきっかけでOscarの辞退し話題になりました。

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Kevin Hart

この『失言』にも様々なものがあります。Kevin Hartなら2009年〜2011年にかけて度々ツイートされていたというLGBTQを笑いにする内容のもの。

 

Brother NatureことKevin Penaも、2011年と2012年に「HAIL HITLER」と言ったナチスを肯定するツイートを始め、問題のツイートが次々と掘り起こされました。

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Kelvin "Brother Nature" Pena

その他にもGuardian of the Galaxyの監督だったJames Gunnは小児性愛者やレイプに関する過去の不適切な発言で次回作の監督を降ろされ、俳優のIsrael BroussardはTo All the Boys I've Loved Beforeで人気を博した直後にアフリカ系アメリカ人の人権に関することや同性愛に関して不適切な発言を過去にしていたとして吊るし上げられました。

 

こういった有名人の過去の失言が掘り起こされる度に、怒りをあらわにする人々がいます。そういった人々がいるからこうして問題が大きくなるわけで。

 

この様子をしばらく見ていて私が気になったのは「どうして人々は怒るのか」ということと「失言した有名人たちは本当に悪いのか」という二点でした。

 

 

 

 

 

▼どうして人々は怒るのか

私達の倫理観はここ数年で急激にアップデートを進めてきました。同性愛者は結婚する権利を得ました。Black Lives Matterやアジア人のハリウッドでの躍進を見ても、ここ数年で一気に人種差別根絶の動きは大きくなっているのは瞭然です。更に、#MeToo といった女性の権利を求める運動も大きく広まりました。

こういった時代に生きている私達は、何が善くて何が悪いのかといった基準を手探りしているところと言って良いのではないでしょうか。法律ですら倫理観のアップデートについてこれていない訳ですから。

法律もあてにならない、目に見えるマニュアルもない、そんな状態で私達は一体何を基準にして人を批判するのでしょう?自分が好きな人たちが主張する基準でしょうか?

例えば、自分の好きなインフルエンサーが「この発言ありえないでしょ」と言ったら、それが自分の思想にもなる、といった具合の人もかなり多いかと思います。私もその一人です。その他にも、いわゆる『世論』や『風潮』の影響も強いでしょう。誰かの不適切な発言について多くの人がそれを批判していたら、そこで同調したり共感したりすることは不自然でもなんでもありません。

人の感情や倫理観を模倣することは一見ダサく見えるかもしれませんが、これは実際には自然至極で、我々は倫理観をアップデートさせる際は人の模倣をしていることの方が多いと思います。

何が言いたいかというと、模倣ばかりになってしまって本当に怒るべきトピックなのかを理解せずに怒っている人がほとんどではないかということです。

何が問題なのかをしっかりと調べなかったり、背景を知ろうとしないままだったりで怒っている人がほとんどで、その怒りが的外れなまま拡大していくケースが多い気がします。何か問題が浮上した時はまず自分自身で善悪についてもっと哲学をしなければならない時代に私達は生きているのではないか、というところでしょうか。

 

 

 

 

 

▼失言した有名人たちは本当に悪いのか

LGBTQを馬鹿にしたり、黒人の人権が認められなくて当然といった発言をしたり。これらは確かに許されない発言なのかもしれません。

ただ、注目すべきは、彼らの問題発言が数年前から10年ほど前のものである点です。

10年前と今日で私達の倫理観は同じでしょうか?いいえ、違うはずです。そんなことはありえないと言っても過言ではないでしょう。

私達は失敗から学びます。これは綺麗事ではなく事実です。誰もが失敗をしながらここまで来ているのです。過去の失敗は、彼らを成長させています。現に過去の失言で取り沙汰される有名人たちの最近のツイートに問題発言は見られません。彼らは神でも聖人でもなく、私達と同じ人間で、失敗から学んでいるのです。

 

 

私は不可知論者なのでキリスト教徒ではありませんが、文学としての聖書は非常に面白いと評価しています。そしてヨハネによる福音書には以下のような記述があります。

 

律法学者やパリサイ人らが姦淫の罪に問われている女をキリストのもとに引っ張ってきました。彼らはキリストを試すために「この女は姦淫しているところを捕まえられました。モーセは律法の中でこのような女は石で打ち殺せと命じていますが、あなたはどうしますか」と尋ねました。キリストは「あなたがたの中で罪を犯したことのない者だけ、この女に石を投げなさい」と言いました。その場にいた人々は自分が過ちを犯したことがあると自覚があったのでひとりひとり立ち去っていき、最後には女とキリスト以外の誰も残りませんでした。

 

何千年も前の書物にある倫理観が今にも通じるところが感慨深いですね。

私が言いたいのは、過去に失敗をしたことのある人には、誰かの過去の失敗を咎める筋合いなどないのではないか、ということです。自分のことを棚に上げて人の罪を責め立てる人々の都合の良さに違和感を覚えるんです。

 

この記事を書いている私自身も、もちろん完璧ではありません。過去に失敗も失言も山程ありますし、こんな記事を書いているそばから間違いも犯します。そして、そんな私の失敗を得意げに責め立てる人たちをたくさん見てきました。ただ、私に怒りをぶつける人たちを見ながらいつも思い浮かべるのは、罪人が罪人を裁こうとする滑稽な図でした。なぜなら彼らもまた、他人を中傷するという罪を犯していると思ったからです。

誰かを正そうとする行為ですら、罪になるかもしれない。私達はそんな世界で生きているんだということを忘れてはならないと思っています。

 

有名人の過去の失言のみではなく、人の過去の過ちや失敗などを裁いたり責めたりすることのできる分際の人なんて、この世の中に存在しないのではないでしょうか。少なくともこれからそういった事案が目に入った時こそ自分の行いを見直し、冷静になる必要があると考えた次第でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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