自分の人生を生きるのは難しい
こんにちは私です。
アイキャッチ画像に使えそうな画像が無かったので加工バキバキの私でも置いておきます。
見よこの加工力を。
さて、ここからが本題だ。
自分の人生を生きたいように生きられない。そうずっと思ってきた。何も楽しいことがない。何もしたいことがない。
FacebookやInstagramではみんなが世界中を旅行し、奇抜な洋服を着て、素敵なメイクをして、おいしい食べ物を食べて、フェス行って、ビッグネームのDJがゲストにやってくるイベントに遊びに行って、それで生計を立てているように見える。
自分が『楽して稼げる方法』なんて検索したからか、SNSやウェブサイトを開けば『簡単に月収50万円!』のような胡散臭い広告ばかりが流れてくる。ブログを読んでいても、ニュースを読んでいても、Facebookを見ていても、Instagramストーリーを見ていてもそうだ。ちなみにこういった広告の『楽して稼げる』は信用していないので、この類の広告を見るたびに騙される人たちがいるかと思うと、まるで戦場で崩れ落ちていく同士を見るかのように勝手に胸を痛める。
私は仕事を3つ掛け持ちしている。宿泊系のオンラインカスタマーサービスと、英会話講師と、スポーツバーでのスタッフだ。高校教師として働いたり、大学職員として働いたりしたが、自分が思ったことを発信できないという拘束感にどうしても耐えられなくて、今のワークスタイルになった。
どうして教員や職員では自分が思ったことが発信できないと思ったのか。それは特定の学校で教師や職員として働いている人だけではなく、フルタイムでどこかで仕事をしている人なら分かる感覚ではなかろうか。インターネットで何かを発信する以上、身バレは覚悟しなければならない。特定班の恐ろしさは小中学生のころからずっと見てきた。
自分はよくても、自分の職場には迷惑をかけられないというのが私にとって一番の負担だったのだ。
今はフリーター状態で、どの職場の人間も私がインターネットで何かを発信することに対して全く抵抗がないどころか楽しんでいる人たちすらいる。だから、自分の人生を楽しみたい、という欲を満たすためだと考えれば、今の選択は間違っていないと信じたい。
ただ、高校教師を辞めてから23歳にして苗字を英語のもの(父の苗字)から日本のもの(母の苗字)に変え、やっと普通に生きられるようになり、初めて日本の苗字で仕事をして、更に24で仕事を辞めて今のワークスタイルになり、あまりにも制限の無い状態に自分自身も戸惑っているのかもしれない。
そんな中ずっと続けているこのブログは、それこそ自分が思っていることを発信するツールだ。ちなみに、書き出さなければ自分の中に鬱憤が溜まってしまうのでその捌け口でしかない。最初は身内向けに、実験的に始めた。けれど、ものの数記事書いたところでとある記事が大炎上してしまい、Google Adsenseの審査に即日通過。ここからブログはメンタルトイレだけではなくお小遣い稼ぎの場にもなった。
メンタルウンコをブログとして排泄すると、それが金になるのだ。ウンコが、金になるのだ。とんでもない世の中になったものだ。
私のもうひとつのメンタルトイレがYouTubeだ。YouTubeはブログよりもかなりパーソナルで、自分のことばかりを話している。ブログが社会への鬱憤用メンタルトイレだとしたら、YouTubeは自分の人生への鬱憤用メンタルトイレだ。
そう、あくまで私がやっていることは精神的な排泄行為でしかない。すっきりしても、別に楽しくないのだ。
人生を生きるのは難しい。
仲間とゲロを吐くまで飲んで騒いで腹がよじれるほど笑いまくったり、ひとりで海外旅行に行ってみたりするのは確かに楽しい。その間は何も考えなくていいし、不安に押しつぶされることもないから楽だ。けれど、その楽しさだけでは満足しきれなくなってしまった。
何をしても物足りなく感じる。飯を食っているだけで、歩いているだけで、「私なにやってんだろ」という気分になる。ほぼ毎日。
何かが猛烈に足りていないのは確かなのに、何が足りていないのかが分からない。この悪質なジレンマに長いこと苛まれている。
私は馬鹿をやっている人たちを見るのが好きだ。正直、私が普段中毒のように見ている動画を紹介してしまったら、今以上に私に幻滅する人たちがたくさん出てきてしまうだろう。ぜひ幻滅してくれ。これらが私好みの動画だ。
そう、私はこういった動画を見てはにやにやして一日を終えてしまう。Silly Simon ChallengeやYou won't do that、Floor is on lavaなどのChallengeシリーズを見るのも好きだ。
じゃあこの人たちと同じことをすればいいのか?ベロベロに酔っ払ってゲームセンターで暴れる?いや、公共の場所で周囲の人に迷惑をかけるようなことはしたくない。じゃあUberドライバーになってオタクの格好をしてラップでもキメるか?いやそもそも福岡Uberねーし(頼むからUber福岡に来てくれ)。 じゃあ低画質で90年代風の風刺動画でも撮るか?いや私にそんなセンスはない。
そう、私が好きで見ている人たちのやることを、私はできない。というかやろうと思わない。私が彼らの馬鹿騒ぎを愛してやまないのは、きっと彼らのすることは私がしないことだからだろう。彼らが面白いのは、私の想像を超えることをやってのけるからだ。
つまり、彼らと同じことを私がしても、私が楽しいと思えるかは別問題なのだ。
色々考えてみても、やはり人生を楽しく過ごす方法は見つからない。ただの人生を生きることに問題は無くても、自分の生きたい人生を生きるのは難しい。
じゃあ死ねば?
死ぬ勇気があれば今こんなダラダラとこんなくだらないことは書いちゃいない。
自分の生きたい人生を生きるのは難しい。自分が楽しめる何かを見つけられるまでしばらく時間がかかりそうだ。着々と老いてくことへの恐怖に抗いながらにはなるが、自分の為にも何かが見つけるしかない。
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