Phil Hardison

Phie Hardison

「生粋のクズがブログを書くとこうなる」というのがよく分かるブログを目指しています!

学校でいじめられてよかった

 

 

 

私のことは母がひとりで育ててくれたんですが、教員である母が私に割ける時間は限られていました。経済的には問題もなかったのですが、人としては何も教えてもらえませんでした。だから小、中学校と、かなりキチガイ(この記事では常軌を逸した人間である自分の蔑称として使います)なまま過ごしてしまっていました。

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私は何が普通かを知らなかった、というか教えてこられなかったので、当時はかなり変わっていました(今でもそれなりに頭がおかしい自覚はありますが)。

 

記憶が曖昧ではありますが、覚えている限りで書いていきたいと思います。かなり長くなるので、結論だけお求めの方はすっ飛ばしてください。

 

  • ド狂い小学生時代

小学生の頃はとにかく、母に無理矢理通わさせられていた剣道の練習をサボることに全てをかけていました。私のサボり癖はここからきていると思います。

6年生のころ、ブラジャーの存在すら知らず、ブラジャーをつけずに白のTシャツを着ていったり、キャミソールを着ていったりして担任の先生を困らせていました。ちなみに当時は困らせていた自覚はなく、今になって考えると「あれ相当困ってたな」と分かります。

ちなみにこれは中学校半ばまで続くのですが、私は体を水につけるのが嫌いというかなり変わったところがあって、お風呂がめちゃくちゃ苦手で、めちゃくちゃ臭ってたと思います。それがゆくゆく中学校でいじめられる原因のひとつになります。

話は戻って同じく小学6年生のころに、クラスの女子たちからシカトされた時期があったんですが、最初は「機嫌悪くてしゃべるテンションじゃないのかな?」くらいにしか思わなかったレベルで察する能力が皆無でした。

でも、女子たちから口をきいてもらえなくなったおかげで、私は「この子たちが私と口をきいてくれないのは、きっと自分に原因があるからなんだ」と、自分の性格に問題があるのだとようやっと気付いたのです。

 

しかし、当時の私は重度の自己愛性パーソナリティー障害を患っていて、自分は特別で、誰からも認められるべき存在だと思い込んでいたので、虫刺されくらいのダメージでそのまま地元の公立中学に入学してしまいます。

 

  • トチ狂い中学生時代

中学に上がった私は、なぜか1軍と接することを許されたキチガイ、という奇妙なポジションに。あまりにぶっとびすぎていて周りの子も面白いと思ってくれたのかもしれません。優しい。

また、陸上部に入部した私は、きついのが嫌いなめんどくさがりを発揮しては、どっか怪我したとか具合が悪いとか言い訳しまくってサボりまくっていました。更に、同期をシカトしたり陰口を言ったりするなどしていじめていました。

傍若無人とはこのこと。もちろん先輩はおこです。そして私だけが全ての先輩にシカトされるという事態が起きました。更にそのまま同期にもシカトされることとなり、部活に居場所がなくなりました。

でも同期にひとり、先輩にひとり口をきいてくれる人がいて、そのおかげでなんとか生きていけてる感じでした。

この時点で部活行きたくなさマックスだったのですが、なぜ辞めなかったのか不思議です。こういう時にすぱっと所属場所を辞められない日本人根性だけは備わってたんですね。

 

部活でシカトという名のいじめを受けている間、クラスでは普通に仲良く出来ていました。部活に行きたくないってだけで既に学校自体をサボり気味なっていたので、「クラスに行く分はいいや」という気持ちが唯一自分を不登校から遠ざけていたように思います。

いじめられても部活をサボりたいという気持ちは改善されなかったので、そのへんの頭のおかしさは本当にすげえなと今振り返ったら思います。辞めたらええやん・・・。『なんとなく絶対に辞めれない空気』っていうブラック企業を辞めれない人達の精神は学校で身についちゃうんだな・・・。

 

中学2年生になり、なぜか新クラスで『1軍と接することを許されたキチガイ』から『ただの1軍のキチガイ』に昇格してしまった私は、なぜか1軍の子たちと同じ班で修学旅行に行くことになってしまいます。どうもそれがきっかけで1軍の子達に避けられるようになりました。バスの中でだんご食べたり、寝相が悪すぎて壁を蹴りまくったせいで私が爆睡している間に先生が夜中に部屋に怒鳴り込んできたりしたのが原因だったのか、私には未だによく分かっていません。というか覚えていません。

とにかくそれからが地獄でした。

クラスの1軍女子にいじめられるということはクラス全員が敵になってしまう訳で、みんなからシカトされることはもちろん、聞こえるように悪口を言われていました。自分の些細な言動が揚げ足を取られて「は?w何アレ?wきっしょw」みたいな感じで言われてしまうので、なるべく目立たないように、発言しないようにしました。暴力や器物損害などがともなわないいじめだったので、まだよかったのかもしれないと今なら思えますが、当時は死ぬほどつらくて、学校にも行く日数も減っていきました。

小学校の頃、親のフリして学校に電話して休んだりしてたのが親にバレたこともあって、その手を封じられてしまっていたので、とにかく色んないい訳をして親に欠席の連絡をしてもらっていました。この時点で親は私がいじめられているのに気付いていなかった(学校サボってんじゃねーぞ的な感じだった)し、学校でみんなとうまくやれないくらいに私の人格が破綻していることに関しても・・・気付いてたんだか気付かないフリしてたんだか今でも分かりません。

 

クラスでいじめられている間、関西出身のTさんだけが私に普通に接してくれて、彼女がいなければどうなっていたか分かりません。そして、クラスでいじめが始まると同時に部活でのいじめが無くなるという奇跡が起きたので八方塞がりにならずに済みました。

ですが、この後いじめがクラスから学年に広がるという大事故が発生して、廊下で歩いているだけで遠くから「おいきめえぞ!」「汚っ!」とかなんとか暴言を吐かれるなど、ドラマみたいなことが普通に起きていました。現実すごい。でもこれって現に私がきもくて汚かったからなんですよね。それからシャワーを克服しました。(いまだに銭湯、温泉、プール、海なんかは気持ち悪くて入れません)

教室にいたくなくて早退したこともありました。その時に担任に「おまえ以外と弱いんやな」という、「俺はいじめに気付いてるけど何もする気はないよ」と同義の言葉をいただき、完全に人間不信に陥りました。西嶋先生元気かな。

 

とにかく、このあたりで色んな方向から心をズタズタに傷つけられたおかげで、ようやく私は傍若無人にふるまってはいけない、思ったことを率直に口にしたらいけない、人がいやがることをしたらいけない、何が人の気に障るか分からない、私は特別じゃない、私は気持ち悪くて嫌われて当然の存在、ということを学びました。そして、常識といわれている感覚を少しながら身につけることもできました。私の異常さが少し矯正されただけでも、いじめられてよかったと思ってしまいます。また、これ以降もちろんいじめの加害者側になったことはありません。むしろ、このあと関西出身のAさんが私と入れ替わりにいじめられることになるのですが、その時私はAさんが私にしてくれたように、普通にAさんと接しました。これができて本当によかった。

ここまでのいじめで私は『いじめられないための努力』と『常識』を学ぶことに成功しました。親が教えてくれなかったことをいじめが教えてくれました。ポジティブ。

 

 

  • 女子高時代

そして高校に上がり、しょっぱな1軍の子にシカトをキメられましたが、その子とも1ヶ月後にはめちゃくちゃ仲良くなって、女子高の多様性万歳な中でのびのびと生活しました。当時私の言葉選びはまだまだめちゃくちゃきつかったと思うんですけど、周りの子たちのふわふわキラキラとした包容力でことなきを得ていました。

キツい言葉選びしてる時点で中学のいじめから全然学べてねえな。

 

 

  • 大学時代

大学に上がり、久しぶりに男子生徒と接する時がやってきました。しかしまあ嫌われる嫌われる。男子の少ない学部内で唯一の男子たちは私達と同じグループでよく行動していたのですが、私のズケズケの言葉選びや態度、自己中さが嫌になったのでしょう、10人もいない男子のうち、3人くらいには途中シカトされてましたし、嫌悪感に満ちたまなざしを向けられていました。

でも、このあたりで私は気付くのです。真実は人を傷付けると。そして、私は傷付いてでも真実を知りたいし、人を傷付けるリスクがあっても誠実でありたいと。この信念とは全く別でクソ自己中という最大の欠陥があったのですが、このあたりは大学でシカトされることでだんだんと矯正されていきました。

 

 

  • 結論

どうして私は「学校でいじめられてよかった」と思うのか。それは、親が教えてくれなかったことをいじめが教えてくれたと思うからです。私はいじめられる前の自分のことが大嫌いですが、いじめられたことで矯正され形成された今の人格は嫌いではありません。

いじめられることが無ければ、私はブラジャーの大切さを知ることは無かったし、シャワーを克服することもできなかったし、キチガイを卒業できることもなかった。

いじめられている頃、特に中学時代は、時間が過ぎることだけをただただ祈り、「毎日消えてしまえたらどれだけ幸せだろう」と思っていましたが、いじめが過去の話となった今、いじめられることで私はまたひとつ深みのある人間になれたんじゃないかとすら思っています。

しかしここで大切なのは、私は別にいじめを肯定している訳ではないということです。確かに私はいじめから多くを学べたと感じていますが、それは私のみに当てはまるケースです。私だったから、今なんとかやっていけてるだけです。

いじめられる原因はいじめられる側にあるという意見、めちゃくちゃ分かります。でも、いじめって不必要なんですよね。そもそも子どもたちが『いじめ』以外に人の悪いところを指摘する手段を持たないこと自体がかなり問題なのでは?注意やアドバイスの仕方を知っていれば、いじめなんかには繋がらないのでは?

こういう、「自分が思っていることをはっきり言うことはできないけど、みんなでなんかむかつく子をいじめることはできる!」という発想を生む空気感自体がまずいんじゃないかと思います。

 

 

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